夫婦カウンセラー,雑談

勇気をだしてお電話頂いた時に
「最後に話を聞いてもらって楽になりました!」
や、
「話を聞いてくれてありがとう!」
と言うお言葉を頂戴したとき

こちらこそありがとうございますと言う気持ちでいっぱいになります。

感謝の言葉は感謝の連鎖をうみます。

まだまだ未熟な私にとって、カウンセラーとして出来る事は精一杯お悩みの気持ちに寄り添う事。

最終的にどうしたいか決めるのは依頼者さまです。

最終目標にたどり着くまでの必要な情報や証拠を見つけるのが私のお仕事だと思っています。

だから、頑張ったのは私ではなく依頼者さま。

そして頑張っているお姿を横で見させて戴いている私の方こそ、ありがとうございます、なのです。

探偵,雑談

まだまだ日中は暑い位ですが、週末の雨を境に、いっきに涼しくなるようですね。

こういった季節の変わり目
特にいっきに気温が変化する時は体調をくずしやすくなりますね。

体調とともに心配なのが心が疲れきっていないか……です。

昔から病は気からと言われるように、心の健康はとても大切だと思います。

話すだけでも、気持ちが軽くなる事は沢山あると思います。

なかなか自分の事を人に話せない人は優しい方が比較的多いです。
それはただ単に相手に話せないというよりは、相手に負担をかけない為に話さない……
パートナーに対しても同じ

相手の負担になりたくない一心で、自分の気持ちは二の次三の次になっていませんか?

心の中の重たい荷物
時にはおろすことも、人と分かち合う事も必要です。

誰にも話せないようなことも私達には絶対的に守秘義務があるので、安心して話をしてくださいね!!!

お金の話


年金分割とは離婚後に一方の配偶者の年金保険料の一部を分割し、もう一方の配偶者が受け取れる事をいいます。

対象となるのは、厚生年金保険・共済年金。
婚姻期間中の保険料納付実績を分割してもらえる。
相場の金額は納付した保険料によります。
請求出来る期間は離婚成立後(離婚成立日から2年間)からも可能です。

注意すべき点
※国民年金・厚生年金基金・国民年金基金は対象外
※雑所得になるので課税対象となる

夫婦カウンセラー,探偵

気持ちは言葉だけではなく、仕草や態度に表れていたりします。

例えば

☆足を何度も組み替える
⇒緊張している可能性があります。
嘘をついていたりした時にバレてないか?!などの感情がうまれている可能性が大きいですね。

☆貧乏ゆすり
⇒苛立っている可能性があります。
こういう時はそっとしておく方が無難かもしれません。

☆指をトントンと動かす
⇒考えているサイン。
せかさず相手の言葉を待ってみましょう。
逆に言い訳など考えさせたくない時は急かしてみるのもいいかもしれません。

1例をあげてみましたが、交渉の時などは相手の仕草や行動をよく観察してみるのも有利に交渉を進める一つの手段になります。

夫婦カウンセラー

既婚、独身に関わらずお悩み相談に訪れる方に多いのが、お相手との関係修復する為にひとりで悩みひとりで解決しようとしている方です。

結婚も恋愛もひとりでは出来ません。
お相手があってこそです。

上手くいかないのには、きっとお互いに理由があるのに、自分だけを責めて自分さえ変われば上手くいくと思い込んでいませんか?

とても仲良く、お互いなんの不満も違和感もなく過ごせている人達なんてこの世にいるのか……
いろいろ乗り越えての方達もいれば、その都度話し合いをする方達もいれば、お互いが譲れる所を譲り合い落とし所を自然と見つけているか

ひとりで頑張りすぎると、いつか限界を迎えます。
相手に合わせ自分だけが我慢をして、自分だけが自分を変えていく……

再構築を望む方にもよくお話しますが、おひとりでは無理です。
ひとりで頑張りすぎ疲れきるのはもう終わりにしましょう。

夫婦カウンセラー,探偵,調査

日頃 女性調査員が居ます!!!
女性相談員居ます!!!
とアピールしていますが、もちろん男性調査員も居ます。

男性調査員は相談も、もちろん出来ます。

女性である私に相談しづらい方は、ぜひ男性調査員にご相談ください。

面談の際は私と男性調査員が同行致します。
男性ならではの捉え方や豪快さ
調査員ならではの見解・経験値
女性ならではの捉え方や細やかさ
相談員ならではの見解・経験値

いろんな角度から、依頼者さまにとって1番ベストな方法を見つける為です。

SNS全般の応対は基本的に私がしています。
電話応対に関しては、ランダムになります。

SNSに関しても男性調査員の意見が欲しい方はご遠慮なく男性調査員を指名してください!!!
お電話に関しても、対応者が男性・女性のご希望があれば仰ってくださいね🎵

雑談

数回に渡りパニック障害の私の場合の治療法を簡単に書きましたが、今回はパニック障害の方が家族の中や身近にいる方へのメッセージです。

パニック発作は、本人にはどうにもコントロール出来ない発作で、死ぬほどの恐怖を体験します。
そのために日常生活上無視できないさまざまな障害が出ます。

家族や周囲の人が
「身体の病気ではないのだから大丈夫よ!!!」
というような事を言うのはパニック障害をかかえている本人への理解がされていないと受け止めがちで、さらに追い込んでしまいます。

・まずはパニック障害という病気を正しく理解してあげてください。
情報社会の今、いくらでも病気について知る事ができます。

・そして治療をつづけられるように協力してあげてください。

・可能な限り、外出に付き添ってあげて下さい。

・発作時には優しく背中をさすってあげて下さい。
(この時声かけをするかは人によって対応してあげてください。「大丈夫」と言ってもらう方が楽な人と私は声をかけられると答えなくてはと思ってしまうので、逆にしんどく不要でした。)

・そしてあなた自身を責めないでください。
パニック発作の原因を作ったのではないかと支えるはずのあなたが、自身を責めるのは間違いです。

(※浮気や不倫問題をおこしている方はおおいに反省して行動を改めてください!!!)

雑談

薬物療法がスタートしました。

まず薬の量を調整する期間として2週間~3カ月。
発作の再発を防ぐために1カ月~3カ月、症状が完全に消えてからその状態を維持する期間として半年~1年。
それからさらに半年から1年かけて徐々に薬を減らしていき、最後に服用なしとなり、治療終了となります。

薬物療法と同時に自分でも克服する為のチャレンジもしていきました。

今思えば子どもが小さかったという事も私自身を奮起させる良い材料でした。

子どもが居るので引きこもる訳にも行かず無理矢理にでも外出をする必要がありました。

発作時にのむ頓服は肌身離さず持ち歩きながら、車の運転から再開。
近くのコンビニへ行く事から始めて少しずつ距離を延ばしました。

電車も1駅1駅の間隔の短いローカル線からチャレンジ。
最初はほんの数分の1駅の区間すら発作が起きましたが、薬での治療も並行していたので1駅の次は2駅区間
その次は3駅区間
少しずつ距離を延ばしていきました。
昨日大丈夫だったから、今日もきっと大丈夫!!!
と心の中でずっと唱えながら少しずつ乗れる距離が延びるとともに、自分の中に大丈夫の自信が増えていきました。
少しずつ上を目指し、成功体験を通じて自信をつけていくことがコツです。

その時は自分なりに考えてだったけど、今はきちんと認知・行動療法というものもあるようです。

結局2年かけて病院での治療と自分なりの行動で治りました。
それでも、やはり不安は拭いきれずそこから数年間はお守りがわりに頓服は常にもっていました。
今でも苦手なものはありますが、心の中で大丈夫 大丈夫と唱えてます。

あくまで私の場合で正しいことも正しくない事もありますが、何かほんの少しでも参考になると幸いです。

雑談

普通の生活がなくなりました。
その当時 子どもはまだ中学生と小学校にあがったばかりと保育園でした。
このままだと育児すらままならない……このままでは駄目だと病院を訪れました。
始めに訪れた病院では
「治るのが難しい病気やから一生治らないと思い、病気と仲良くなってくださいね うつ病も併発しやすいからその辺のお薬もだしておきますね」

???でいっぱいになりました。
治らない?
うつ病?

どうしてもその言葉に納得出来ず、大量に出された薬は全て捨てました。

一生いつ起こるか分からない発作とつきあうのか…
歩いて行ける場所以外はどこへも行けなくなるのか…
と諦め半分で仕事を辞め歩いて行けるスーパーへパートとして働く事にしました。
事情は話ていたので、問題なく日々を過ごしてるうちに、パート仲間で仲良くなった人に同じ病気の人がいました。
あーだから周りの人が病気の事に理解あったんだなぁと納得。
そしてその人が通っている病院を紹介され訪れると

「治りますよ!!!」と医師から告げられ驚きました。
お薬を使った治療のスタートです。

雑談

以前パニック障害という病気に少し触れましたが今回は私の経験談をお話したいと思います。

20年近く前の話なので記憶が曖昧な箇所もありますし、お薬の名前などはもう覚えていまけん。
今パニック障害で苦しんでいる人の少しでも参考になれたらなと思います。

長くなるので何度かに分けて投稿したいと思います。

まず私が初めてパニック発作をおこしたのは、まだ次女が言葉も話せない幼少期
夜中に突然体調不良となった次女を車に乗せ急患センターへと車を走らせている時でした。
普段とても手がかからず泣く事も少ない次女が突然車の中で今まで聞いた事のない泣き声で泣き始めた瞬間でした。
運転中の私は突然呼吸がしづらくなり、目眩と手足の硬直のような感覚になりました。

たまたま発作が起きた場所が警察署の前だったので車を停め、思うように動かない足を引きずりながら警察官の人に喋るのもおぼつかないながら伝え車に3人の子どもが乗っている事も伝え保護してもらいました。

そして娘とともに急患センターで診てもらっているうちに、なぜか私はすっかり治っていました。

そしてその時初めてパニック発作という言葉を告げられました。
心療内科のある病院で1度診てもらってくださいと言われただけでお薬が出るわけでもなく帰されました。

聞いた事もない、なんだか人として凄く弱い人がなるようなイメージの病名によく分からないショックを受けていました。

そしてあんなに苦しくて死ぬかと思ったのに薬も何もなく、なんだか私が嘘をついてると思われてるのか?!とさえ思っていました。

今のように携帯で簡単にいろいろな情報を得られる環境でもなかったので意味もなく恐怖心でいっぱいになりました。

そして日をあけずにまた発作が起きます。
その頃の私は何故かもう車を運転する事も、閉ざされた空間にいる事も出来なくなっていました。
車に関しては初めての発作が運転中だった事もあり、また運転中に発作が起きたら危ないという恐怖心からか……
閉ざされた空間に関してはなぜかは分かりませんが、トイレすらダメで子ども達には事情を話しトイレのドアを開けて用を足すような生活でした。
トイレだけではなくエレベーターや電車やバスなどの乗り物系全て駄目になり、映画や花火のように大きな音がするものも発作の引き金となってしまいました。